第1章 漬物店のはじまり
原動力は農村女性の地位向上
昭和43年、自宅裏の小屋で操業時の様子。
旬の食材を使用した漬物。常時50種類以上販売しています。
岩手の代表的な漬物「金婚漬」で有名な(株)道奥。そのスタートは意外にも民芸品だったという。
花巻南高校時代、農村女性の生き方をテーマに全国弁論大会で3位入賞。盛岡短大を出て整骨師のご主人とすぐ結婚。(阿部整骨院)しかし、「わたしのモットーは有言実行。話したことと裏腹な生き方はしたくないと思って…」昭和37年みちのく民芸社を設立。
民芸風の壁掛けはちっとも売れず1年後に漬け物に挑戦。農村の女性の地位向上をめざし農閑期を利用して冬場の収入確保のために名産品として売り出そうと考えた。
目をつけたのが花巻地方に伝わる「金婚漬」。瓜の中をくりぬき、ゴボウ、人参を細く縦割りにし、しその葉とともに昆布でまき、瓜の穴の中にきっちり詰め、さらにもろみ醤油漬けにする。手間ひまかけてつくるとても美味しい漬け物だ。
「名前のとおり年季のはいったこの漬け物が大変喜ばれまして」順調に事業を拡大していった。
野菜は契約農家から仕入れ、重要な巻きの部分は今でも手作業、防腐剤・人工甘味料を一切使用していない自然食品である。
低塩で安心の漬物づくり
生産が軌道にのりはじめた昭和50年、大きな岐路にたたされる。成人病防止のために減塩運動にぶつかり、漬け物が一番の悪者としてやり玉にあがったのだ。
これを契機に本物の企業として脱皮をはかる。商品開発に多大な資金と時間を投入。金婚漬の塩分を従来の1/4に抑え、防腐剤を一切使わず保存がきく作り方を考案。昭和55年には周囲の大反対をおしきって3億円で工場を新設、増産にふみきる。
「漬け物が悪者にされるのがくやしくて」
徹底的に漬け物について勉強した。すると悪者どころかアルカリ性食品の代表で乳酸菌を多量に含む健康食品とわかる。郷土の智恵や生活文化のすばらしさを実感、漬け物という食文化を全国に広めようと肚が座ったのである。